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八八式偵察機のプロペラ - 時々日記w
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時々日記w

不定期(^^ゞ 色々書きますよ>^_^< たぶん・・・

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2010

08/14

Sat.

19:12:00

八八式偵察機のプロペラ 

Category【その他

ばあちゃんちの応接間にプロペラがあるのを思い出して、その経緯などを調べてみました。

そのプロペラは八八式偵察機と呼ばれる第2次世界大戦前に活躍した飛行機のものです。

複葉、単発発動機。つまり羽が上下に2枚あってエンジンが1台っていうこと。複葉っていうところが時代を感じさせますな。

こいつのエンジンは日本?がBMWのエンジンのライセンスをとって作ったBMWの日本製エンジンだそうです。

機体自体はドイツ?のエンジニアが設計したとかなんだとか。。。

これにも初期型と改良型があったそう。初期型は冷却装置が機体前部のプロペラの後ろにあり、エンジン部が四角かったので視界が悪かったそうです。

そこでエンジン部を円型にし、冷却装置をプロペラの下に入れたのが改良型みたいです。

実戦での評価が高く日清戦争とかそこら辺の時代に活躍してたそうで、軽爆撃機に改造されたりといろいろ使われたそうです。


こいつが問題のプロペラ。応接間の天井近く?にあります。

なぜここにあるのかな?っておもってばあちゃんちの資料あさっていると「昭和9年5月24日殉職とか書いた紙が。。。 写真と名前も一緒に書いてました。なんだったかな、陸軍なんちゃらとかいう殉職名簿的なものに載ってるみたいです。

その中にある文章を読むとこう書かれています。

八日市八丈島往復野外飛行訓練のため午前7時35分小林総長操縦、村崎大尉同乗の八八式偵察機は編隊長機となりて、僚機とともに出発す。然るに突如遠州灘上空の飛行発動機に故障を生じ・・・

遂に濱名湖沖南方約30[?]の大洋上に不時着水すのをやむなきに至る。君は救命袋を身に着けて機翼上に立つ。斯くて僚機の急報にて依り陸軍航空隊明野飛行学校、飛行第7[?]隊より飛行機を濱名湖口近[?]より10敷隻の発動機船を出動、君が所在を懸命捜索せしが波浪高く遂に発見するを得ざりき。

翌25日午前10時に至り決死的捜索艦隊の手に衣り辞職せられたる遺骸を姿見す。

ここで少し勘違いに気付きました。濱名湖に落ちたのではなく濱名湖沖南方に落ちたとw

小林総長っていうのは僕の母方のひいじいちゃんの兄弟です。小林総長がひいじいちゃんに送った手紙もありましたが字が読めませんでしたw 

出発してから不時着水するまでの時間は2時間弱。30[?]がKmであると仮定して八日市の飛行場から不時着水点までの距離は約150Km。八日市から八丈島までの距離は400kmあまり。最高時速が210Kmだったかな?ですから復路ということはありえないので往路として速度を算出すると時速80Kmで飛んでいたことになる。

八丈島に着くまでの時間を計算すると5時間。この機体は最大航続時間が6時間。それほど余裕のないスケジュールだったように感じますが。。。

ま、とりあえず行って帰ってくる練習をしてたわけですよね。ミッションの4分の1にも到達できずエンジントラブルで落ちるとは。。。かなしいっ。TVゲームではエンジントラブルの演算なんて含まれてないんでしょうね~~


彼について。。。w

犬上郡河瀬村(村ですよ?村!)に生まれて河瀬小学校に通っていたそう。河瀬小学校って言ったら僕が卒業した小学校と同じですよ~w つまり、親子4代、もしかしたら5代にわたって河瀬小学校(創立当時は簡易化南川瀬小学校という名前で、その前は正始学校という名前でした。正始学校は近所の法蔵寺という寺が設立したものです。)を卒業したことになる!! 

飛行訓練で河瀬村上空を飛んだ時、家の上を飛んで家に向かって洗濯物を落としたと言い伝えられています← 洗濯物を落としたとき、彼の母親は「よしぃー!あぶないがね~!」と叫んでいたとかなんとか・・・

詳しくはわからないが20代で結婚もせずに上記の事故でなくなったみたいです。

弔慰?とかなんとか書かれた本に「小林芳美君ノ英霊ニ次グ」とかかかれていたりw

当時は戦前なので日本と言えども一人一人の命が大切にされてたし、今よりもよかったんでしょうね。国に信念を埋め込まれていたんだろうけど、それは家族の絆を強めるものだったし、親を偉い人と認識する心も人に必要な心でしょうね。それを考えると今の教育よりも当時の教育のほうが正しかった気もしますが。。。

第2次世界大戦がはじまる前なので国にも人にも心に余裕があったみたい。軍からたいそうな葬式が提供?されて祭りのようにおおきな葬式だったとかなんだとか。。。ばあちゃんからもそう聞きましたし、当時の小学校校長も本にそう書いています。

偵察機が不時着水し遺骸を回収した後回収された機体の一部、つまりプロペラが遺族であるひいじいちゃんや芳美君の母に渡され、それがばあちゃんちの応接間においてあるそうです。


昭和4年製造の機体だったそうです。採用されて2年のころに作られた機体みたいですね。

端っこが欠けてる。。。んでブレードのは金属で覆われています。釘とネジを両方使ってます。

もちろん固定ピッチですよん。木製で可変ピッチとかだったら感動ですよぉーw

この破片は別の機体のものだと思いますよ。

んー、この写真でねじと釘が使われていることがわかるかなぁ。。。


っと、思ったんだが芳美氏と村崎大尉が一緒に乗ってたのになぜプロペラがここにあるの?大尉のほうが上じゃないんですかね?

村崎大尉は生きて帰ったとかなんですかね?

また今度、村崎大尉について調べてみようと思います。

ということでーー

個人的には今回の一通りの情報探しは非常に勉強になりましたぁ!

ここに書いてないこともいろいろ知りましたからっw

もっと詳しいこと知っておられる方おられましたら是非教えてくださいな♪

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コメント

八八式プロペラ

 一航空史発掘愛好家です。
興味深く拝見しました。
 八八式のプロペラは、比較的多くが残っていますが、そのなかでもかなり綺麗ですね。昭和四年の近くには、番号(製造番号)があるはずです。
また、「音叉」マークもあるはずです。そう、日本楽器製(現ヤマハ)なのです。
もし、番号が分かりましたら、掲載していただけれると嬉しいです。

 なお、「総長」は「曹長」、飛行第7[?]隊は「連隊」(聯隊)かと、思われます。
手許に「航空殉職録」なる本がありますので、こちらでも、探して見ます。

2010/08/25 10:33 | URL | 九一戦 #yNB.88oQ  edit

Re: 八八式プロペラ

あ、多く残ってるんですか!? ネットで調べても八八式自体がそう多く出てこなかったので少ないのかと。。。
yamaha製なんですか!!どこにも書いてませんでしたよww そっか、ヤマハ発動機って会社もありますもんね。
ばあちゃんの家に行ったら探してきます、番号。

きっと聯隊ですね!ありがとうございます。ほんのコピーだったので読みにくくて。。。w
たぶん殉職録もばあちゃん家にあったはずですが。。。 おねがいしますw

情報ありがとうございます!

2010/08/25 13:56 | URL | 渓介 #-  edit

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2010/08/28 08:41 |  |  #  edit

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